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こんな気持ちは。



逢いたいの
触れたいの
冗談にして
ホントの気持ちは
隠しているけど

今すぐ抱きしめたいの
その唇にキスしたいの
ひとまえだからとか
そんなこと関係ないもん

好きなの
大好きなの
ことばよりも
もっと強く

ねぇ、
どうすればいいの
あたしのなかで暴れだす
こんな気持ちは

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想い  恋愛



どこにいても
わかる
君の声にだけ
反応する
心の部分がある

ことり、と
せつなく
疼く



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右手



この指を伸ばせば
君へとつながる
右手はいつも
君だけのために
やさしい想い出も
かなしい想い出も
いとしい想い出も
すべて
右手の中に



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幸福な朝食



目覚めた朝に
君がいたなら
それはなんて幸せな朝

半分寝ぼけた君が
あたしの頭に
ぽふっと手を置いて
そのまままた眠りに入ってしまう
軽く微笑んだ
口元が好き

ちゃんと目覚めたら
小鳥のようにくちづけて

そんな幸せな朝
夢に見ながら
ひとり、
箸を口に運ぶ
日常。



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怒ってる?



少し怒ったような顔で
目の前に立つ君

わかってるの
この顔は

怒ったような顔のまま
あたしの手を取って
自分の方へと引き寄せる

君の腕の中で
もう、君の顔は見えない

ね、
強く強く抱きしめるのは
怒っているからじゃないよね

今、
どんな顔してるの?

怒っててもいいよ
こうやっていつまでも
触れ合っていられるなら

ずっとふたりで
いつまでも





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お願い。



もう、
あたしのこと
好きじゃないのは
わかってるから

だから

そんなにあからさまに
嫌わなくても
いいじゃない…



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すき。



そんなに無防備なところを見せないで
ますますすきになってしまう
その笑顔も
困った顔も
ちょっと怒った眼差しも
全部がほしいの
やわらかな頬に伸びてきた髭
思わず触れてしまった
ねぇ、
だって

すき。



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くしゃみ



くしゃみをするとね
君がくすくす笑う
何かおかしいのって訊いたら
特徴あるなぁって
また笑う
何かへんかなぁ
でもね
君が笑うなら
それでいいや
って思ったら
君もくしゃみ
君のくしゃみだって
十分、特徴あるよ
どこで聞いても
君だってわかるもの
でも、
それって、
あたしだけ?



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さよならのとき



手と手が触れて
恋が始まって
唇と唇が触れ合って
恋は深まった

君の唇に唇で触れて
君の右手を右手で握って
さよならをしをしなくちゃ
今夜



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EVER



あたし
小さくなって
君のポケット
入りこみたい
ずっとずっと
いつも一緒に
時々はくすぐって笑わせたり
いたずらもするけれど
ちゃんとおとなしくしてるから
君の温かさに包まれて
ずっとずっと
いつまでも



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CANDY



甘い味が広がった
君が嘗めていた
キャンディの味
もっと欲しくて
深くくちづけた
君は少し笑って
もう一度くちづけた
甘美な時間



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ことば



できることなら
ことばをください
髪の毛をすくその指も
抱きしめてくれる腕も
やさしく触れる唇も
何もかもがほしいのだけど

わがままは言わない
ことばをください
思い出すだけでふんわり幸せになる
魔法のことばを



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旅立つとき



あした、もし
君がいなくても
泣き出したりしないように
すこしずつ、頭の中で
君のスペースを減らして
やさしかった時間を追い出して

君がいなくても
笑顔で

こんなにもアタリマエに
生活していけるんだよ、あたし、って

ねぇ、笑って言いたいよ

だってそうじゃないと
心配でしょう?

心配性の君が
安心して旅立てるように

あたし
強くなりたいのです。



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すきだから



いつもそばにいたかった
笑顔をつくってあげたかった
偶然に手と手が触れ合う
そんな一瞬の温かさを感じていたかった
好きだから
いつも近くにいたかった

だけど
君が遠くに行ってしまうのなら
笑って見送りたい
大丈夫だよって
大丈夫だからって
笑顔でいたい
誰より君が
好きだから



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神さまは
時に意地悪です

どうしてあたしたちは
こんなときに出逢ってしまったのでしょうか
選べないのに
この手を離せない

出逢うのなら
もっと早く出逢いたかった
彼女よりも、誰よりも先に
けれど、
今だから君に気付いてしまったの
きっと
今だから出逢ってしまったの

神さま、
あたしは、いつか
この手を離さなければならないのでしょう

だから神さま
もう意地悪しないで
たった一度
微笑んで
ください




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春の海



いつか見た
春の海
とても暖かい日でした
あの日、
海に入ったのでしょうか?
まだ早いサンダルと
ふわふわと揺れるワンピースのすそを
覚えています
君の手を握りしめ
指の形を確認して
夢じゃないんだって思いました
悪戯に拾った貝殻は
少しだけ欠けてしまいましたが
まだ引き出しの中
眠っています
君はまだ覚えていますか?
あの日
春の海
ただお互いが愛しくて
いつまでも
こんな時間が続くと信じていた
あのころ




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おねがい



お返しなんかいらない
お菓子もアクセサリーも小物も
何もいらない

たったひとつの
夢を叶えてください

それだけで何もいらない

もうひとつくれるなら

おねがい、
ぎゅってして
もう寒くないように




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そして夏休みも終わって、前と同じような生活が始まった。
あれから3ヶ月。吉田佳奈とも甲斐とも話すことはない。
違うグループのやつらと適当に楽しく話し、適当に楽しい学生生活を過ごしている。
バイト先の女の子とは、夏休みが終わってからは会っていない。でも、寂しいともなんとも思っていない。
きっと、恋じゃなかった。彼女もきっとそうだったのだろう。
あのころの胸の痛みは、だいぶ和らいでいる。こうして、このままいつか忘れていくのだろう。早く時が経てばいい。
だけど、こんな雨の日には。
思い出す。
赤い傘。甲斐の笑顔。泣きじゃくる吉田佳奈。叩きつける雨。何もできなかった俺。
思い出してもしょうがないんだけどな。
戻れるわけじゃない、きっとあのときに戻ったとしても同じことを繰り返すのだろう。
俺がいなかったら、吉田佳奈は幸せになれていたのかな。
あの笑顔、好きだったのに。もう見ることもないのかな。
そんなことを考えながらぼんやり歩いていたら、壊れた傘を手にした甲斐とばったりでくわした。
「あ……」
思わず、呼び止めてしまった。
甲斐は怪訝な顔で、俺を見た。
「雨、結構強そうだけど、その傘で大丈夫か」
「ああ、今日、自転車なんだ」
「大丈夫かよ。気をつけろよ」
どうにか、当たり前の会話をした。
でも、本当に言いたかったことは、言わなかった。
おまえ、本当にこれでいいのかよ
もし訊いたら、なんて答えるのだろう。
別にいいよ
きっと、そんな返事だろう。
当然、俺には答えたくないだろうし。
本当は今も吉田佳奈のことが好きなくせに。何もしないで。
……何もしないのは、俺も一緒か。
それにしてもひどい雨だ。むしろ、濡れて帰ったほうが、すっきりするかもしれない。雨のシャワーみたいなものだ。
くだらないことを考えて靴を履き替えていたら、吉田佳奈と会ってしまった。
「……菊池くん」
手には赤い傘。
あの日と同じ、赤い傘。
見たら、急に意地悪な気持ちが芽生えてきた。
ここで甲斐の名前を出したら、どうなるだろう。
嫌がられようがなんだろうが、どうせ今更、笑顔を見せてくれることもないわけだし。
「さっき、甲斐に会ったよ。壊れた傘、持ってた。チャリで帰るんだって」
「壊れた、傘?」
「あ? うん。壊れたビニ傘……吉田?」
話している途中で、吉田佳奈の顔色が変わってきた。壊れた傘に何かがあるのか。口元に持っていった手が、明らかに震えている。
「おい、大丈夫か? 吉田?」
細い足が力を失ってしゃがみこむ。
確かに意地悪な気持ちにはなったけど、ここまで動揺するとは思わなかったし、ここまでのダメージを与えるつもりはなかった。
「帰れる?」
小さく頷く。差し出した俺の手には頼らず立ち上がる。だけどふらついて、俺の腕にもたれる。
突き放すこともできるだろうけど、でも、俺は吉田佳奈には優しくしてしまう。
それはまだ好きだから、だろうか。
こんな雨の日には、忘れたはずの恋のかけらが胸で疼きだす。きっと、吉田佳奈の胸にも、同じ想いが、別の方向を向いて、疼いているのだろう。雨が好きになったとはにかんでいた、あの日の吉田佳奈。
甲斐の話をしただけでこんなにも弱くなってしまう女の子。こんなにも近くにいるのに、誰よりも遠い。
今までも、これからも、決して俺を振り向かない。
だとしたら。
好きな女の子の幸せをただ願ってあげることも必要なんじゃないか。
もともと俺は、吉田佳奈の笑顔を見たかった、それだけだったはずだ。
その笑顔を取り戻してあげるには、どうすればいい?
「甲斐の家、行こうか」
俺は、吉田佳奈の手を引いて歩き出す。
「さっきチャリで出たはずだから、タクシー乗れば先回りできるんじゃないか」
「菊池くん?」
「そんなにさ、甲斐のことが好きなんだったら、ちゃんと言った方がいいよ。俺、吉田のそんな顔見たくないし」
俺のするべきことがわかった気がする。
ふたりをちゃんと向かい合わせること。
俺が壊したと思うのなら、俺が元に戻せばいい。
だから、ふたりに、チャンスを。
そこから先は、ふたりの問題だ。さすがの甲斐も、ふたりきりで向き合えば、どうにかなるだろう。いや、どうかな? そこまでは責任持てないか。
「待って、菊池くん」
吉田佳奈が、久しぶりにきちんと背筋を伸ばして、俺を見る。
「忘れ物があるの。ちょっと待ってて」

タクシーの中で、俺は、好きな女の子の恋の話を、初めてきちんと聴く。
まるで遠い世界の話で、俺の入り込む隙間はない。
完全に、失恋だ。
だけど心の中に、痛みだけじゃない、穏やかな気持ちが広がっていくのはどうしてだろう。
俺に必要だったのは、完全にふられることだったのか。
そう、最初からわかっていたんだ。吉田佳奈と甲斐は、同じ空気を共有している。俺とは違う。
だけど、わかったからといって、じゃあいいですよあきらめますよというほど、俺はまだオトナじゃなかった。だから、あがいた。泣き叫んで地団太を踏む、コドモみたいなものだった。
好きだけど、だから手放さなくちゃならない。
まだ、俺の左手は吉田佳奈につながっている。この手を放したときに、吉田佳奈は飛び立っていく。
そのまんま飛んでいけばいい。
あしたからは昔のようなあの笑顔で、いてくれれば、それでいい。
今はまだ、胸が痛い。そりゃそうだ、俺だって精一杯好きだったんだ。
タクシーが止まる。甲斐は、まだ家には着いていないようだ。まだ自転車がない。
1本向こう側のサイクリングロードを通っているのだろう。今頃、びしゃびしゃに濡れながら自転車をこいでいる、こんなことになっているとも知らないで。
あのぼーっとしたやつがどんな顔で驚くのか、考えただけでおかしかった。
タクシーを降りて、甲斐が来るはずのサイクリングロードまで引っ張っていき、そこで俺は吉田佳奈の手を放す。
ばいばい、ホント、好きだったけど。
「俺にできるのは、ここまで。あとは自分でがんばれよ」
「菊池くん……」
「ちゃんとつかまえてこいよ」
「ありがと。ごめんね」
「いいよ。俺がやりたくてやったんだし」
ああ、この笑顔だ。俺が見たかった笑顔。俺が守りたかった笑顔。
俺はそのきゃしゃな背中を、そっと押す。友達の仕草で。
走り出していけるように。
振り返らなくていい。まっすぐ前だけ向いて、壊れた傘をさしてフラフラ走る自転車と出会うまで、ずっと走っていけばいい。
頷いて走っていく、遠ざかっていく赤い傘。
俺ができるのは、ここまでか。
だけど、甲斐。オマエだけがあの子の笑顔を守ってやれると思うから、返すだけだぞ。またあの子を泣かせるようなことをしたら、そのときには俺が奪うからな、絶対。
まぁ、ないよな。
しあわせになればいい。俺は見てるから。
好きだったあの笑顔が、思い出に変わるまで。
「やるじゃん、男の子」
背中に、女の子の声がした。
振り向くと、白い服を着た河本みなみが笑っていた。
「見てたのかよ」
にじんだ目の前をこすって、俺は苦笑いをしようとした、けど、笑えなかった。
ただただ目をこするばかりだ。
これは雨なんだと言い訳をしようにも、雨は小降りになってきた。
かっこわるいな、女の子の前で。しかもかわいい子の前で。私服の河本みなみは、いつもよりかわいく見えた。傘の下でサラサラと揺れている栗色のつやつやした髪の毛、くるくるとした大きな目。前、友達に、誰がいいかとか訊かれたときに、この子の名前を答えたんだっけ。あのとき思っていた以上に、河本みなみはかわいかった。
「泣けばいいよ。かっこよかったよ、さっきの菊池くん」
雨が上がる。
河本みなみの後ろに光が差す。
その姿はまるで、
「惚れ直しちゃった」
栗色の髪の毛が光に透けて、白い服がふわりと風を含んで、
「今すぐは無理だろうけど」
地上に降りてきた天使のように、
「振り向かせるから」
見えたんだ。



おわり。






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泣きじゃくって、足に力が入らない吉田佳奈を、なんとか家まで送り届けて、俺はぐちゃぐちゃに濡れたまま部屋に帰り、ベッドに倒れこんだ。
これから俺は、どうすればいいんだろう。
ただ、好きになっただけなのに。
好きになった女の子を、ただ苦しめただけなんて。
時間を巻き戻すことができるなら、俺はいい友達として、つかずはなれずの距離で彼女の笑顔を守ってあげることができたかもしれないのに。
いや、いい友達でなんかいつまでもいられない。限界だった。
俺には、あんなやり方しかできなかった。
それが、最悪のタイミングだったっていうだけだ。
目を閉じると浮かぶのは、甲斐の笑顔。
何もない表面だけの笑い。
どうして……終わらせてしまう?
耳をふさいでも聞こえてくる、吉田佳奈の嗚咽、甲斐への謝罪。
止まらない、ぐるぐると回っている。
俺が、何もかもを、壊してしまった。

寝不足のまま学校へ行くと、甲斐は机に突っ伏していた。泣きはらしたのか、赤い目をした吉田佳奈も、席から離れて友達と話していた。
席替えがあって、俺の席からは吉田佳奈も甲斐も見えなくなった。
少しだけほっとした。
だけど気になって、ときどき振り返ってしまう。
甲斐はほぼ1日、机に突っ伏していた。
吉田佳奈は、表面上は穏やかだった。
謝った方がいいのだろうか。
いや、謝れない。俺は恋をしただけだ。好きな子に好きだと言っただけ、悪いことはしていない。
だけど。
「吉田」
いつしか俺は、吉田佳奈の前に立っていた。
吉田佳奈は気まずそうに目を伏せる、が、気丈に笑顔をつくった。
「昨日はありがと、家まで送ってくれて」
頼む、頼むから笑わないでくれ。
吉田佳奈の空っぽな笑顔に、懺悔したい気持ちでいっぱいになる。
昨日の甲斐と同じような、表面に張り付いただけの笑顔。
そんな顔は見たくないんだ。
「俺……あれは誤解だって……言ってやろうか、甲斐に……」
吉田佳奈は首を横に振る。きっぱりと。
考えてみれば、ふたりが離れた方が俺にとってはチャンスなのに、こんな状況で俺はなんでお人よしなことを言っているのだろう。俺はばかだ。だけど、意地を張っている吉田佳奈もばかだし、本当のことを訊きに来る勇気のない甲斐はもっとばかだ。
ただの誤解、なのに。
でも、それを甲斐に伝えてやる必要があるか?
付き合っているわけではなかった。甲斐の想いは、俺が勝手に気付いただけだった。吉田佳奈の想いも、俺が勝手に気付いただけだ。想いあっていても、何もしていないじゃないか。そんなものは壊れてしまえばいい。
いや、こんな状態で、俺はいいのか? 幸せになれるのか? 俺はいったい、どうすればいいんだ?
俺は……ただ、吉田佳奈の笑顔が見たい。本物の笑顔が見たい。
「俺、どうしたらいい?」
情けない問いかけに、吉田佳奈は黙って首を振る。
ほっといてほしい、ということか。
そうだよな、俺、昨日、告ったんだった。
気がない以上は、つきまとわれたら逆に迷惑だよな。
最初からわかっていたことだけど、言葉もなく、俺はふられたわけか。
拒絶されているのか。
俺は、吉田佳奈に背を向ける。
全部、終わった。

やがて、ちょうどいい具合に夏休みがやってきた。
俺は遊んで遊んで遊びまくった。
仲間とふざけているときは、あの日のことを思い出さずに済んだ。
永遠に夏休みが続けばいいと思った。
騒いで遊んでバイトして疲れ果てて寝るだけの日々。
仲間と海でナンパもしてみたし、バイト先で知り合った女の子とデートなんかもしてみた。
何もかも忘れたくて俺ははしゃぎまくって、女の子もすっごいのってくれて、めちゃくちゃ楽しいデートだった。
その女の子とキスをするときに、吉田佳奈の顔が浮かんで、俺はきつく目を閉じた。



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ある日、吉田佳奈が聴きたいCDがあると話しかけてきた。
よく喋っていたころに話していた、俺も吉田佳奈も好きなバンド。あのころは、そんな小さな共通点がうれしかった。
だけど今は、あまり喋らないようにしていた。
だから何だか、本当に久しぶりに話している。もう忘れたくて、あまり吉田佳奈のことを見ないようにしていた。
気のせいか、また少しきれいになっている。
「じゃあ、今日の帰り、取りに来る?」
俺の家は、吉田佳奈が使う駅のすぐ近くだから、前にも何回かそうやってCDの貸し借りをしていた。だから、何気なく言ったのだが、吉田佳奈は少し浮かない顔をした。そして、窓の外に目を向ける。
外は雨。
「何か約束があるんなら、明日学校に持ってくるけど」
「え? あ、ううん、何もない。早く聴きたいし、今日行くね」
心がない笑顔。
何を考えているの? 甲斐のこと?
軽い気持ちで訊けたらいいのに。まだ割り切れていない。
俺しか気付いていない、ふたりの変化。クラスで噂になっていないってことは、まだふたりはつきあっているわけじゃあない。
だから、もう俺は、吉田佳奈の前で甲斐の名前なんか出したくない。
今は、このまま。
せめて本当の笑顔が見たいと思って、俺は必死でくだらないことを喋った。吉田佳奈の心から、一瞬でも甲斐が消えればいいと願った。
吉田佳奈は俺の話に、顔をくしゃくしゃにして大笑いしながら、俺の腕をバシバシと叩いた。

俺の黒い傘の隣に、吉田佳奈の赤い傘がちょこんと並んでいる。
初めてこうして並んで歩いたのは、いつだったか。
あのころの吉田佳奈は、ただの地味な、でもめちゃめちゃきれいになる可能性を秘めている、と俺が思い込んでいた、女の子だった。俺の気持ちも、友達以上ではあったけど、まだはっきりしたものは何もなくて。
だけど、今は。
たぶん、吉田佳奈が恋をした、あのころに。
恋は伝染する……わけはないけど。
前に並んで帰ったあの日より、俺ははるかにぎこちない。俺だけがぎこちない。
吉田佳奈は前と同じように楽しそうに話している。河本みなみの話や、今日の体育でドジった話、昨日見て面白かったテレビの話、そして、最近雨の日が好きになったこと。
「え? 雨が好きなの? ああ、その傘がかわいいから、とか?」
赤い傘は吉田佳奈に似合っていた。傘をくるくる回しながら笑っている吉田佳奈に、正直、目を奪われていた。
「ううん、あのね。菊池くんだから言っちゃうけど。雨の日にね、甲斐くんと一緒に帰ったの。それから、雨の日が好きになったの」
雨に煙る街。赤い傘の下で目を伏せてはにかむ吉田佳奈。
初めて吉田佳奈の口から出てきた「甲斐」の名前は、耳の中が溶けてしまいそうなほど甘く甘く響いて。
聴きたくなかった。だから、避けていた。
だけど、聴いてしまった。俺は……何を言えばいい?
俺に対して、友達としての好意以上の何もない。かけらほども。
そんなことは、最初からわかっていた。
だけど、わかったからといって、じゃあいいですよあきらめますよというほど、俺たちはまだオトナじゃないだろう。
泣き叫んで地団太を踏むほどコドモでもないけど。
だけど、最後の悪あがきくらいは、していい?
俺は、吉田佳奈の左腕をつかんだ。そして、自分の方に強く引き寄せる。
赤い傘が、吉田佳奈の手からゆっくりと落ちる。手折られた花のように。
「菊池くん?」
困惑した声。
俺はかまわず、吉田佳奈を抱きしめる。
「好きだ」
本当は、ずっと、こうして触れたいと思っていた。そのきゃしゃな体を、自分のものにしたいと。壊してしまうかもしれないほどの強い力で。
心は俺の元になんか、ない。心のない抜け殻。だけど、今、ここにいる、確かな重みと体温を持った人間の体。
シャンプーの匂いも、やわらかい肌も、鼓動も、すべてを抱きしめて。
これから、俺はどうすればいい?
気のいい友達役は、もうごめんだ。
「…あ…」
不意に腕の中で響く、吉田佳奈の声。
この細い腕のどこにそんな力があったんだろうと思うような力で、俺の胸を押して、急に俺の腕の中からは温かさが消える。
まだ俺は現実に戻れなくて、ぼんやりと腕からはがれたいとしいものをながめ、そのいとしいものの見ている先に視線を移した。
……甲斐。
「ハイ、これ」
甲斐は、俺なんか見ていない。まっすぐ吉田佳奈だけを見つめて。赤い傘を吉田佳奈にさしかける。それから、甲斐がさしていた透明な傘も、吉田佳奈に握らせる。
ふたりだけの時が流れている。入り込めない。俺は間抜けな傍観者だ。
だけど。
なんで甲斐が笑っているのか、不思議だった。
どうして笑っていられる? おまえの好きな……女、だろう?
「ありがとう、楽しかった」
「何、言って……」
雨の中、甲斐はきびすを返すと街の中に走っていった。
止まった時間が動き出す。
ゴォゴォと車は走り、人々の笑いさざめく音が聞こえ出して……。
そうだ、俺。
「吉田っ、何やってるんだよ。甲斐のこと追いかけなくていいのか? 行けよ!」
吉田佳奈の背中を押す。
だけど、その背中は震えているだけで動かない、動けない。
「ごめん、俺……こんなつもりじゃ……」
震えた背中がしゃがみこむ。
透明な傘を抱きしめて。
こんなとき、どうしてやればいい?
「甲斐くん……ごめんね……ごめんね……」
嗚咽の中のちいさな声。
謝るのは俺なのに。
突然、こんなことをして。傷つけて。
好きな女の子の笑顔を守ることもできないで、すべてを叩き壊して、失って。
お れ は な に を し て い る ん だ
雨が一段と強くなる。
今の俺にできることは、吉田佳奈が少しでも濡れないように、傘をさしていることだけだった。



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だけど、吉田佳奈は恋をした。
甲斐の視線を捕らえたからではないけれど、何かのきっかけで。
俺にはわかる。
吉田佳奈は恋をしている。
醸し出す雰囲気が、一瞬にして変わった。
やわらかい、甘い空気。
その香りは、俺にまで伝播してくる。
「吉田って、結構いいよな」
今まで吉田佳奈に目もくれてなかったやつらまで、急に騒ぎ出すようになった。
俺は、最初から気づいてたさ。……言えなかったけど。

ある日、普通に話していると、吉田佳奈が不意に言った。
「菊池くんって、みなみちゃんのことが好きなの?」
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そういえば、吉田佳奈とは結構仲がいい、感じだった。
「好きっていうか……かわいくない?」
無難だと思われる返事をしておく。それに、河本みなみの栗色のつやつやした髪とくるくるした大きな目は、確かにかわいいと思う。だけど、本音を言えば、目の前にいる女の子の無自覚なかわいさにどきどきしている。
ホントに俺のこと、なんとも思ってないだろ? そうじゃなかったら、そんなに無防備でいられないだろ?
甲斐が、絶対に知らない、吉田佳奈。
少し尖らせた唇の紅さに、一瞬理性を失いそうになる。
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完全に、俺のこと見てないよね、今。
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そのころからだったか、そのまえからだったのか、吉田佳奈はよく甲斐と喋るようになっていた。
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さっさとつきあってしまえばいいのに。
そしたら、少しは楽になれるかもしれない。あきらめがつくっていうか。
なんで気付かないかな、なんで言わないかな、ふたりとも。
なんでこうやっていつまでも見てるかな、俺も。
早いとこあきらめて、次に行けばいいのにな。
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だけど。あきらめきれないのは、まだ可能性を信じているせいか。
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そんなことは、最初からわかっていた。
だけど、わかったからといって、じゃあいいですよあきらめますよというほど、俺たちはまだオトナじゃないだろう。
泣き叫んで地団太を踏むほどコドモでもないけど。

吉田佳奈。
めだつほどかわいいわけではない。
クラスで一番人気の女子は、いつもきゃっきゃはしゃいでいて、めだつ。髪の毛を巻いたりしていて、色つきのリップクリームなんかもつけていて、長いまつげを際立たせていて、ほんのりと何か香りをさせている。きっと、自分でもかわいいってことをわかっているのだろう、かわいさの見せ方を知っている。
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そのときだけ、瞳に強い意志を持って。
……好き、なんだ。
人の恋に気づくと、俺は妙にうろたえた。きっと、気づいているのは俺だけだ。甲斐は、それくらい静かに、だけど熱く、吉田佳奈を見つめている。
そんなふうに見ているくらいなら、打ち明ければいいものを。
なんだかむしゃくしゃする。
腹が立って、俺は、甲斐に見せ付けるように吉田佳奈と親しげに喋ってみた。そのときの甲斐の目は、俺を通り越して、吉田佳奈だけを映しているようだった。
後から俺は、少し落ち込んだ。
俺は、ガキか。

俺は、心配だったんだ。
甲斐と吉田佳奈は、どこか似ている。同じ空気を感じる。
吉田佳奈が気づいてしまったらどうしよう。
それは、あせりだった。
気づかせてはいけない。
俺はますますおどけて吉田佳奈に話しかけ、俺と吉田佳奈はますます「友達」になっていた。
「友達」になればなるほど、俺の気持ちは何だか別の方向に向かっていってしまう気がする。甲斐の視線にイラつき、俺自身にイラつく。
だけど何があったって、吉田佳奈に気づかせてはいけない。
おれ自身も気づいてはいけない。
パンドラの箱。



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彼の傘は小さなビニール傘で、こんなどしゃ降りの日にどうしてこんなお願いをしてしまったのだろうと、今更ながら後悔した。
見上げた彼の横顔は、いつもと違って、なんだか少年のように見える。
戸惑っている? 初めて話したのに、ずうずうしいお願いをされたせいで? でも、嫌がっているわけじゃないと思いたい。だって歩幅を合わせてくれる。困っている? だけど、私が濡れないように、傘をさしかけてくれている。慣れていない? 唇をきゅっと結んで、まっすぐ前だけを見ている。不自然なくらいに。
私は、彼から傘を取り上げた。
「ちゃんとささないと、キミが濡れちゃうよ?」
彼は、左半身ずぶ濡れだった。
なんだか不思議。彼が子犬のような目で私を見るから、私に任せて、って気分になってくる。彼に傘をさしかけながら、私はくだらないことをたくさん話した。
彼は、どこかうわのそらな返事を繰り返しながら、それでも優しい目で私を見てくれるから、私は話し続けていられる。このまま、道がいつまでも続けばいいと思った。
だけど、どんな時間にも終わりがある。
「あ、もう駅」
ため息のように出てしまった言葉。彼も息をついたのがわかった。
「入れてくれてありがと」
声が震えそうになったから、なるべく棒読みでお礼を言った。
少しでもやさしい時間を長引かせたくて、ゆっくりと傘をたたんだ。
そして、ゆっくりと傘を返す、と。
彼はすばやくその傘を、私の手に握らせた。彼の手が、私の手を包み込む。
たった今まで、私に任せてなんて思ってた。
だけど、違う。
私は、守られている。
小さな棘が痛み出す。
ちくちくちくちく。
「これ、使ってよ」
声が私を包み込む。
ちくちくちくちく、泣き出しそう。
「でも、キミが…」
「大丈夫、駅からすぐ近くなんだ」
笑顔が私を包み込む。
ちくちく……ズキズキ……ドキドキドキ。
手をぎゅっと握って、その後彼は駆け出した。
私の手に残る、力強さ、ぬくもり。
「ありがとう!」
泣き出しそうな心を抱えて、私は上手に笑えていましたか?
びしゃびしゃに濡れて小さくなっていく彼の後ろ姿を見送りながら、私はありがとうと呟いた。
彼にも、勇気をくれた天使にも。

ドーナツ型の雲は、あれは天使の輪だった。
ドーナツ型の下には、ちいさな体と、そして、羽。

あの日刺さった、小さな棘。
私の中で、確かに芽吹いている。
微かで甘やかな痛みと、ときめきと。
うれしくて振り回して壊してしまった借りた傘と、さっき買ったばかりの真新しい傘を手にして、私はもう、明日話す言葉を探している。





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隣の席の男の子は、いつだってぼんやりしている。
休み時間も、友達と騒いでいるより、ひとりでぼんやり風に吹かれていることが多い。
授業中も時々うわのそらで、窓の外を眺めている。
何を見てるのかな。空の色? 雲の形? 時折、口元に浮かぶ微笑みは、何かを考えているせい?
私も、なんとなく窓の外に目を向ける。
空って、こんなに大きかったんだ。雲って、こんなにも形を変えるんだ。
見ていて飽きることはない。彼が微笑んでいるのがわかる気がする。だって、ホラ、あの雲の形、ドーナツみたいじゃない? おなかすいてきちゃう。
彼もそんなことを考えているんだろうか。
なんだか隣の席の男の子が、好ましく思えた。

今日も彼はぼんやりしている。
話しかける友達に相槌を打ちながら、窓の外に視線を走らせる。
いつか話しかけてみたいと思いながら、まだ話しかけられずにいるのは、時々彼がものすごく大人なんじゃないかと感じているせい。同じ年の男の子はみんな、子供っぽく感じるけど、なんだか彼は違う。ただぼんやりしているようにも見えるけど、何かほかの人とか違うものを見ているようにも見える。例えば、窓から入ってきた風にふと目を細める瞬間に、このひとは風を見ているんだ、と感じる。本当のところは知らない。訊いてみたい。
ふと、そのとき、彼の後ろ頭に、ちょっぴり寝癖があるのが目に入った。
それを見た瞬間。心の中に、何かが入った。

小さな棘がささっている。
ちくちくと痛む。
ちくちくちくちく。
私は病気ですか?

今日も雲は形を変える。
今日も彼はぼんやりと空を眺めている。
私もつられて空を見る。
今日の雲は重たい灰色で、なんだか気分が暗くなる。帰る頃には、きっと、雨。
雨はいやだなぁ。制服が湿っぽくなるし、気分も憂鬱になる。
あ、今日もドーナツ型の雲。
……違う? ドーナツじゃなくて、あれは。

精一杯の勇気で、放課後、彼の前に立つ。
「キミって、いっつもぼんやりしてるよね」
上ずりそうな声を抑えると、自分でも驚くほど低い声が出た。
そんな私を、きょとんとした顔で見ている彼を見ていたら、なんだかおかしくなってきた。案外、子供っぽい顔をするんだね。いつも横顔を見ていたから、知らなかった。
そんなことを考えたら少し笑うことができて、次の言葉がするすると出てきた。
「あのね、雨が降ってきちゃって」
いつも外見ているから、知っているよね。だけど、指先が震えそうだったから、力を入れて指をさす。
「もし傘、持ってるなら」
彼の視線が指先の方に移っていったから、ますます指先が震えそう。
「駅まで、入れてってくれない?」




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やがて本当に雨が止んで、『自称・天使』が指さした方に虹が見えた。
大きな、まあるい虹。
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それは少しずつ大きくなってきて、顔をぐちゃぐちゃに濡らしたカナが僕に駆け寄ってきて、僕に新しいビニール傘を押し付ける。
これは、夢なのか?
初めて見る、カナの泣き顔。ぐしゃぐしゃな泣き顔。
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僕はめちゃくちゃにカナを抱きしめる。
そのきゃしゃな肩を、濡れた髪の毛を、小さなぬくもりを、久しぶりに感じるシャンプーの匂いを、夢だとしても苦しいくらい愛しく思う。
「夢じゃないよ」
『自称・天使』の声が耳元で聞こえる。姿は、見えない。
「傘のお礼だよ」
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いや、今は考えるのを止めておこう。『自称・天使』の傘のお礼、いや、カナからの傘のお礼?
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あれから3カ月。
昼過ぎから急に降り出した雨。
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あの日、カナと入った傘。
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こんな傘、さしたってささなくたって変わらないだろう。
だけどこんなもの、いつまでも置きっぱなしにしていたら、きっといつまでも前に進めない。
今日使って、捨ててしまおう。
カナへの想いを断ち切ろう。
雨に流してしまおう。
そう思っていたら。

「何、ぼんやりしてるの?」
気がつくと、『自称・天使』が後ろ手に手を組んで、小首をかしげて、僕を見ていた。
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次の日も雨だった。
カナは、赤い傘をさして帰った。
いつもいつも僕とふざけあうほど、暇でもないのだろう。
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横顔しか見ることができなかった、臆病な僕。今は、笑いながら話すことができる。でも、僕はまだ臆病だ。もし僕に勇気があるなら、自分から、一緒に帰ろうと誘えるはずだから。
もし明日も雨が降ったら、今度は僕が誘ってみよう。
さし心地悪い傘だけど、入っていかないか?
…変な誘い方だな。
もうちょっとマシで、気が利いてて、カナが顔をくしゃっとして笑い出すような、カッコイイ誘い方ってないのかな?
そんなことをぼんやりと考えながら、昨日はカナと歩いた道をなぞるように歩いている。
ここでカナが僕の右腕に触れて心臓が飛び出すくらいどきどきしたんだとか、ここでカナが道端で濡れている花を見て「寒そうだね」って言ったんだとか、小さなことを反芻してみる。
僕の胸の中は、カナでいっぱい、いっぱいだ。
だから、信号の向こうに赤い傘が揺れていたとき、本物のカナがいるとは一瞬、思わなかった。
僕が作り出した幻だと思った。
それほどに幻想的だった。
雨に煙った空気のなかひっそりと咲いていて、それはとてもカナらしいと思って、僕はそのことを早くカナに伝えようと思って、信号を渡った。
でも、気づくと、花は一輪じゃあなかった。
赤い傘の隣には、大きな黒い傘。
男物。
あれは。
見慣れたはずのカナの横顔が、いつもと違って見えた。
伏せたまつげが長くて、僕はこんなときだというのに、カナに見とれずにはいられなかった。
見とれていたせいか、全てがコマ送りで見えた。
赤い花が散るようにカナの傘がゆっくり落ちて、カナは黒い傘の中に引き込まれて、カナの困惑した瞳が揺れて。
そして……。
僕は。
いったい、どうしたというのだろう。
何をやっているのだろう。
気がつくと、ふたりに近寄っていて、落ちていた赤い傘を拾い上げていた。
「…あ…」
カナが慌てて、黒い傘から離れる。
だめじゃないか、離れたら濡れちゃうだろ?
「ハイ、これ」
赤い傘をさしかける。カナが濡れたりしないように。そして、新しいビニール傘、僕がひとりでさしていた傘、昨日はカナと一緒に入った、さし心地の悪い、だけど世界で一番素敵な傘も一緒に差し出した。
「ありがとう、楽しかった」
「何、言って……」
カナの声は、最後まで聞いていない。
僕は、走った。
初めてカナと一緒に帰ったあの日と同じくらい、いや、それ以上のスピードで走った。
あと何百キロメートルでも走れると思った。
いや、走りたいと思った。
走って走って、ずぶ濡れになって、肺炎にでもなればいい。
世界中が雨で満たされて、そのまま雨に溺れてしまえばいいと思った。

その次の日、偶然にも席替えがあって、僕とカナは教室のはじとはじに離れた。
これでよかったんだ。
カナが何か言いたそうに僕を見ていたのがわかったけど、僕は眠たいふりをして、机に顔を伏せた。
本当は少しも眠くなかったけど。
前の晩も全然眠れなかったのに、全然眠くないのだけど。
目を閉じると、黒い傘がまぶたの裏に浮かぶ。
戸惑ったカナの横顔も。
あのときの全てが、浮かぶ。
だから僕は目を開けたまま、机に顔を伏せていた。



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雨の日。
無意識に、いや意識的に。僕は横目でカナの荷物を盗み見る。
赤い傘。ちゃんと持ってきている。
そりゃそうだ、今日は朝から雨だった。
だけど、帰りがけ、カナはいつものように後ろ手に手を組んで、小首をかしげて、鼻の上にちょっとしわを寄せたいたずらっぽい笑顔で僕を覗き込んで、僕にだけ聞こえるような声で言った。
新しい傘のさし心地、試したいな。

毎日が雨でもいい。
僕はそう思った。
初めて一緒に帰ったあの日よりも、僕らの距離は近づいている。
時々、僕の右腕はカナの左腕にぶつかり、うれしいような、恥ずかしいような、申し訳ないような、晴れがましいような、ぐちゃぐちゃな気持ちになったけど、結局はうれしさが勝っていた。
傘からはみ出ている僕の左肩も、カナの右肩もめちゃめちゃ濡れたけど、それさえもふたりには笑いごとだった。
「すっげー、さし心地悪い傘」
「ひっどーい。そんなこと言うなら返してよ」
ふざけては、笑い合った。
笑うたびに、僕の右腕はカナの左腕にあたった。
このまんま雨が降り続けて、このまんま道が続けばいいと、思った。



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次の日。申し訳なさそうに、カナは2本のビニール傘を僕に手渡した。
「ごめんね、傘、昨日、壊しちゃって。これ、新しいの。使って」
曲がっていた2本の傘の骨が、見事にポキリと折れていた。
こんな壊れた傘、わざわざ持ってくることもないだろうに。
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「いや、いいよ。もともと壊れかけだったし」
「でも」
「じゃあ」
僕は不意に、昨日のカナの小さな冷たい手を思い出す。
「じゃあ、また君が傘を忘れたときには、この新しい傘を使うよ」
なんて気障なことを言ったものだろう。顔から火が吹き出そうだ。
だけどカナは、きっと僕より頬を赤くして、はにかんだ。

それから、僕はカナと親しくなった。
クラスメイトとして、だけど。
僕の胸の中には、横顔のカナよりたくさんの、僕のほうを向いたカナが詰まってきていた。
くしゃっとした笑顔、僕が意地悪なことを言うと少し下唇を突き出す癖、失敗したときにチラッと見せる赤い舌、いたずらっぽくくるくると動く瞳。
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いっぱい、いっぱい詰まりすぎて、はちきれそうだ。
はちきれそうだったんだ。



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カナと僕は、隣の席だった。
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たぶん、初めて見たときから、僕はカナに心魅かれていた。
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いつの間にか、僕の胸の中にはカナの横顔がいっぱいに詰まっていた。
だから、僕の真正面に、後ろ手に手を組んで小首をかしげたカナが、鼻の上にちょっとしわを寄せたいたずらっぽい笑顔を浮かべて立っていたとき、一瞬それが誰だかわからなかった。
「キミって、いっつもぼんやりしてるよね」
そういえば、カナの声は少し低い。そんなことをぼんやり考えていて、僕は返事もできなかった。
ただただぼーっとしている僕のことがよっぽどおかしかったのだろう、カナはケラケラと笑い声を立てた。
「あのね、雨が降ってきちゃって」
正面から見ると、ほんの少しそばかすがあるのがわかる。
「もし傘、持ってるなら」
窓の外を指している細い指。強く握ったら、折れてしまうんじゃあないだろうか?
「駅まで、入れてってくれない?」

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壊れかけた、安物のビニール傘。2本も骨がぐにゃりと曲がっている、そんな傘。よりによって。
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それに、この傘は小さすぎる。カナが濡れてしまう。
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あの日から、僕は、雨の日が好きになった



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